黄表紙とその前後〜山東京伝主な作品〜

 ここでは、「地本」の中でも、京伝作品(黄表紙洒落本読本など)に焦点を当てて紹介します。
 京伝作品のうち、(  )がついていないものは、黄表紙作品を表し、そのほかはジャンルを(洒落本)などと 記しています。黄表紙作品は、画工と文章の作者が同一人物の場合と(それでもペンネームが違ったりする事がある) 絵と文が別々の人物によっていることがあります。画作としてあるものは、絵と文を京伝が書いたと言われている作品が 多いのですが、未確認のものも、画作としてしまっています。(確認するには、「黄表紙総覧」(棚橋正博)が必要で、 それは、黄表紙について、膨大な研究の集大成なのですが、やはり10万円はキビしいし、奈良市立の図書館にもない。 奈良市の図書館様、買ってください m(^o^)m 
 訂正するべき個所などご指摘いただければ、幸いに思います。

 IE4.0以上ででごらんの方は、太字の作品名にポインタを合わせると読み仮名がでます。



 和歌、漢詩、物語などの伝統的古典文学や、漢学書、医学書、宗教書など、学問や思想を扱ったものを「書物」「物の本」 と呼び、書物問屋仲間が扱った。
 一方、錦絵、草双子など、消耗性の高い物は「草紙」「地本」と呼ばれ、地本草紙問屋が 商った。
寛文から延享ごろ(17C半ば〜18C半ば)
絵を主とし、それを説明する文章がついた草双紙に赤い表紙がつくようになる
おとぎ話、浄瑠璃のダイジェスト、流行歌集など
赤本と呼ばれる
享保(1716〜)頃 芝居絵本に黒い表紙が使われ、大人向きの草双紙に黒い表紙がつくようになる
2冊物、3冊物が多く、黒本と呼ばれる
おなじような内容の草双紙に萌黄色の表紙が使われるようになる
青本と呼ばれる
寛延(1748〜)宝暦(1751〜)頃 
染料丹(赤)の値上がり 赤本が姿を消す
宝暦11年(1761)山東京伝、江戸深川に生まれる
明和(1764〜)頃
江戸に独自の文学の気運高まる
江戸礼賛、治世謳歌の雰囲気(〜天明7年)    
江戸っ子気質」「江戸根生い」など、江戸文化にプライドを持つ作者と読者
明和2年(1765) 鈴木春信により、錦絵(多色刷りの浮世絵)興る
浮世絵の発展
安永元年(1772)田沼意次、老中に就任。色刷りの題簽が使われはじめる
安永4年(1775)「金々先生栄花夢」恋川春町画作←黄表紙の祖『青本。草双紙は大人の見るものと極まる』
洒落本の雰囲気、流行や風俗、うがち、洒落などを取り入れ、全体的に洗練された内容
絵と文の比重が等しくなる
この作品より以後、従来の青本と区別するため、黄表紙と呼ばれる
安永6年(1777)「親敵討腹鞁」朋誠堂喜三二作、春町画 春町、喜三二時代の形成
このころ、鳥居清長北川豊章(喜多川歌麿)北尾政美勝川春朗(葛飾北斎)、北尾重政、
北尾政演(山東京伝)など、絵師陣の登場 芝全交、市場通笑、伊庭可笑、窪田俊満ら、作者の活躍
黄表紙全盛期を迎える
安永7年(1778)京伝処女作「開帳利益札遊」画作
安永8年(1779)「大強化羅敷」「日東国三曲之鼎」画「吾嬬森栄楠」(芝居絵本)
安永9年(1780)「娘敵討古郷錦」「米饅頭始」画作
「遊人三幅対」「夜野中狐物」「果物見立御世話咄」画   
「晒落模様飛羽衣」画 「二美人図」(錦絵)

天明元年(1781)黄表紙評判記「菊寿草」四方赤良(蜀山人)

天明元年(1781)「七笑皃当世姿」「其後剽様物」「鎌倉三代記」「七転八興小町」
「太郎左衛門噺」画作

天明2年(1782)黄表紙評判記「岡目八目」四方赤良 巻軸(最優秀)「御存商売物」京伝画作
天明3年(1783)狂歌大流行(天明狂歌)京伝、身軽織輔として、狂歌界に参加
黄表紙大手版元蔦屋重三郎、日本橋通油町にて本格的活動開始  
浅間山噴火、東北地方の冷害など、天明の飢饉始まる
  
天明3年(1783)「客人女郎」画作
天明4年(1784)「天慶和句文」「不案配即席料理」
「小紋裁」(滑稽本)「新美人合自筆鑑」(錦絵)   
天明5年(1785)「江戸生艶気樺焼」「廓中丁字」「三国伝来無匂線香」画作「大悲千禄本」
洒落本処女作「息子部屋」

天明6年(1786)老中田沼意次失脚、翌7年、各地で打ちこわし(天明の打ちこわし)起こる
 
天明6年(1986)「江戸春一夜千両」「明矣七変目影清」画作「通町江戸鼻筋」画   
「客衆肝照子」「小紋新法」(洒落本)
「古今狂歌袋」(狂歌人肖像集)「指面草」(滑稽本)
天明7年(1787)「三筋緯客気植田」画作「是気侭作種」
「総籬」「古契三娼」(洒落本)

天明8年(1788)松平定信による文武奨励、儒教倫理的政治始まる(寛政の改革)
「文武二道万石通」喜三二 新政をうがち、主家より圧力を受け、止筆
  
天明8年(1788)「會通己恍惚鏡」「富士之人穴見物」「復讐後祭祀」画作
「時代世話二挺鼓」「傾城(けい)」「吉原楊枝」(洒落本)

寛政元年(1789)当局による出板取り締まり励行
「鸚鵡返文武二道」春町→召喚後、病没(自殺か)
「黒白水鏡」石部琴好作京伝画 琴好、手錠の上、江戸払い、京伝、過料
  
寛政元年(1789)「碑文谷利生四竹節」「孔子縞于時藍染」「奇事中州話」画作
「廓大帳」「志羅川夜舟」「通気粋語伝」「新造図彙」(洒落本)
寛政2年(1790)「照子浄頗梨」「京伝憂世之酔醒」「玉磨青砥銭」「藍返行儀霰」   
「心学早染艸」「小紋雅話」画作
「傾城買四十八手」「繁千話」「京伝予誌」(洒落本)「通俗大聖伝」(読本)

寛政3年(1791)京伝洒落本『錦之裏』『娼妓絹篩』『仕掛文庫』に教訓読本と銘打ったため、
京伝手錠50日 絶版処分 版元蔦屋重三郎身上半減の刑に処せられる
幕府による洒落本出板禁止令
黄表紙界、教訓心学など織り込み、体制に迎合を始める
寛政3年(1791)「人間一生胸算用」「世上洒落見絵図」「廬生夢魂其前日」   
「箱入娘面屋人魚」画作「九苦十年色地獄」
『錦之裏』『娼妓絹篩』『仕掛文庫』(以上三部教訓読本)(洒落本)
寛政4年(1792)「桃太郎発端話説」「天剛垂楊柳」「梁山一歩談」画作
「実語教幼稚講釈」馬琴代作
寛政5年(1793)「龍宮羶鉢木」馬琴代作
「堪忍袋緒〆善玉」「貧福両道中之記」画作
寛政6年(1794)「金々先生造花夢」「根無草筆(わかばえ)」   
「忠臣蔵前世幕無」画作   
「初役金鳥帽子魚」(滑稽本)

寛政7年(1795)「敵討義女英」南仙笑楚満人作 敵討ち物全盛を迎える
内容が複雑化し、6冊以上になり、合冊がおこる
寛政8年(1796)「鬼殺心角樽」「人心鏡写繪」画作
寛政9年(1797)「和荘兵衛後日話」画作
寛政10年(1798)「児訓影絵喩」「凹凸話」「百化帖準擬本草」
「筆津虫音禽」画作
寛政11年(1799)「仮名手本胸之鏡」「京伝主十六利鑑」画作
「忠臣水滸伝・前編」(読本)

享和元年(1801)「忠臣水滸伝・後編」(読本)
享和2年(1802)「早業七人前」「呑込多霊宝縁記」画作
「通気智之銭光記」「呑込多霊宝縁起」「賢愚湊銭湯新話」「枯木花大悲利益」(合巻)
「浮世絵類考追考」(雑書)
享和3年(1803)「御誂長寿小紋」「裡家算見通座敷」「人間万事吹矢的」
「分解道胸中双六」「悟道迷所独案内」画作
「安積沼」(読本)「奇妙図彙」(滑稽本)

文化元年(1804)「江戸砂子娘敵討」「作者胎内十月図」「五人切西瓜斬売」画作
「優曇華物語」(読本)「近世奇跡考」(雑書)
文化2年(1805)「荏土自慢名産杖」「残燈奇譚案机塵」画作
「曙草紙」(読本)
文化3年(1806)「敵討孫太郎蟲」(黄表紙)「昔話稲妻表紙」「善知鳥安方忠義伝」(読本)

文化4年(1807)合冊されたものを合巻とよび、黄表紙と区別する
  
文化4年(1807)「於六櫛木曽仇討」「敵討岡崎女郎衆」「安積沼後日仇討」(合巻)   
文化5年(1808)「岩井櫛粂野仇討」「妬湯仇討話」「絲車九尾狐」「絞染五郎強勢談」(合巻)  
文化6年(1809)「笠森娘錦笈摺」「松梅竹取物語」「風流伽三味線」「志道軒往古講釈」(合巻)
「浮牡丹全伝」(読本)「腹筋逢夢石」(滑稽本)   
文化7年(1810)「善知鳥俤」「絲桜本町文粋」(滑稽本)   
文化8年(1811)「桜ひめ筆再咲」(合巻)   
文化9年(1812)「朝茶湯一寸口切」(合巻)   
文化10年(1813)「雙蝶記」(読本)   
文化11年(1814)「骨董集(上編・上、中)」(考証物)   
文化12年(1815)「骨董集(上編・下)」(考証物)「絵看板子持姥」

文化13年(1816)胸の痛みを訴える。京伝没(享年56歳)

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