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黄表紙作品鑑賞 其の弐

 ここには、京伝の黄表紙を中心に、作品を紹介しています。

鸚鵡返文武二道(おうむがえしぶんぶのふたみち)黄表紙  寛政元年(1789)恋川春町作・北尾政美画。江戸通油町蔦谷重三郎刊。
 田沼意次失脚、松平定信将軍補佐役、寛政の改革に取材した、朋誠堂喜三二作「文武二道万石通」が前年に出版されている。それに唱和するという意味の題名だが、定信が著した「鸚鵡詞」を示している。  菅原道真の子菅秀才(定信に擬す)は、政に当たって、内縁間柄(田沼の勢力)を一掃し、武を奨励し、粗服を着る。右に習えと武士たちも粗服を着て、町や遊郭で武と称した狼藉を働く。秀才は大江(柴野栗山に擬す)に、自分が書いた「九官鳥」(鸚鵡詞に擬す)を教えさせる。その中で政治を凧にたとえたことで、皆凧揚げをする。そこへ鳳凰が飛んできて、めでたいことだとそれを見せ物にした。
 「文武二道万石通」の成功に刺激されたのであろうし、馬琴が「こもまた・・・二三月頃まで市中を売りあるきたり」と世間の反応も大きかったことを伝える。その結果、春町は定信に召喚され、病気を理由にそれを辞し、三か月後、病没、自殺かとも言われている。
大悲千禄本(だいひのせんろくほん)黄表紙  天明5年(1785)芝全交作・北尾政演(山東京伝)画。江戸通油町蔦屋重三郎刊。
 千手観音も不景気には手がなく、その手をレンタルしようとする。千兵衛はそれを千両で請け負い、観音の手を切り取る。これが大流行、借りに来たのは、源平の戦いで右腕を切り落とされた平忠度、片腕を落とされた鬼神、浄瑠璃の脇役で手のない人形、手管のない女郎、障害者、字の書けないものなどなど。手相のよい手は、ちょっと高めに貸し付ける。店先はまるで大根漬けを売るような様相を呈する。右手左手を間違えて借りた忠度、 観音の手は、梵字しか書けず、女郎に貸した手は小指がなくなり、握り拳で帰ってきた手には喧嘩の傷、染物屋に貸した手は青く染まっている。けちな人は手をただ返すだけではもったいないと、爪に火をともし、ろうそくの代わりにする。これが手燭の始まりだなんて、うまい。
 このころの江戸の諸観音の莫大な儲けと不景気を芯にして、小作品ながら、発想の奇抜さとこじつけのおもしろさで、版木が摩耗するほどの売れ行きを見せたと言われる。
孔子縞于時藍染(こうしじまときにあいぞめ)黄表紙  寛政元年(1789)山東京伝(北尾政演)画作。江戸大伝馬町大和田安部衛刊。
 寛政の改革が始まり、朱子学に基づいた文武奨励、倹約の励行など、数々のお触れがだされる中、改革に材をとった黄表紙は次々と出版され、中には処分されたものもあった。京伝が絵筆をとった「黒白水鏡」(寛政元年)は、本作品と類似するところも多く、処分の対象となり、京伝は科料に処せられた。
 当世は、朱子学と藍染めの格子縞が大流行。礼を好み、金銀を嫌う世の中になった。  乞食が礼を学び、金持ちの商人が金を施そうとして断られる。傾城買いも大金を使うのを色男とされ、女郎は客に金を押しつけようとする。客の息子株は大金を背負い込んだため、朱子学が孝行を勧める通り、勘当を受けようとするが、親は朱子学の通り、子供を許す。 呉服のえびすやは貧乏神屋と屋号を変え、悪い商品をもっと高く売ってくれと客に言われる。そば屋は無料でそばを振る舞い、金をおいて逃げ出した客をそば屋はその客を追いかけ、握り拳でその頭を撫でる。通人は木綿を着、追い剥ぎならぬ追いはがれが出没、大豊作ゆえたくさん年貢を納め、天は米と小判を降らせる。小判に埋もれた人々は何とか助かる。
 不況と、不作による一揆、浅間山の噴火で灰が降り続いたことなど、暗い現実を裏返して見せることで、読者の共感を得たのだが、京伝にことさら風刺の意図はなかったと言われる。ところが、これは幕府にとって大いに皮肉で、寛政三年洒落本三部作によって京伝が処分されたのは、この作品のことも考慮されたに違いない。
心学早染艸(しんがくはやそめくさ)黄表紙  寛政二年(1790)山東京伝作・北尾政美画。江戸大伝馬町大和田安部衛刊。
 前年、「黒白水鏡」により、処分を受けた京伝は、諧謔、茶くり、洒落から離れざるを得なくなった。学問奨励策もあって、倹約、堪忍、正直を唱えた心学が流行しており、それを当て込み、勧善懲悪の教訓性を前面に押し出した体制迎合の作ともいえる。
 商人理兵衛のところに生まれた理太郎に、悪魂が入ろうとするが、天はそれをねじ伏せて善魂を入れる。善魂が油断した隙に、悪魂が理太郎に入り込む。理太郎は落ちぶれ、悪魂はそれを笑う。殺された善魂の息子が敵討ちをし、理太郎は立ち直る。
 理屈を嫌う体質の黄表紙を、「理屈臭きをもってひと趣向」(序文)とすることで、逆説的に打って出た京伝が、新しい黄表紙の展開を見いだそうとした作品。




傾城買四十八手(けいせいかいしじゅうはって)洒落本  寛政2年(1790)山東京伝画作。江戸通油町蔦屋重三郎刊。
 傾城買いの様々な手を示すという手法で、それぞれのカップルが織りなすやりとりを、巧みに描き、それを作者が評している。うがちや洒落はほとんどなく、心理描写に重点をおいた作品。初々しい『しっぽりとした手』、厚かましくやきもち焼きな男を酷評する『やすい手』、手のある女郎の手の内を見せる『見ぬかれた手』。
 さて、『真の手』。女郎は具合が悪く、身仕舞いせず、寝ている。夕べから居続けている男は、ふさいでいる。女に通って借金の出来た客に、私のために借金が出来たのだから、蒲団を売ったら足しになろうという女郎、男の母親の病気快癒に願掛けして、精進している。そのお札を持っていってくれと言いながら、自分の母親は見かえる気でいる。男「なぜこんなに迷わせた。うらみだぜ。」女郎「なぜほれさせてくんなんしたへ。」このせりふが全然臭くない。月経が無いのを女郎が告白し、夕方の鐘が鳴る。ああ。。。
 評に「傾城に真があって運の尽き」。「たがひの中にはみへもなくなり、文も有り合わせのわるがみなぞへ、用事ばかり・・・其の客の好きな食い物も好きになり、その男の癖までがうつる・・・ほかの客を勤めず切れてしまひ、ついには独客となり、互いに身づまりと・・・」なってみたい。  跋には蘇軾の「男女の淫楽は互いに臭骸を抱く」が引用され、夕べに白骨となれる身と説いている。  古典と呼ばれる物が、これだけリアルに、身にせまってきたことがあっただろうか。
 心理描写に徹した本作は、洒落本が人情本へ変容する橋渡しが始まった作品でもある。
←煙草入れをデザインした表紙
錦之裏(にしきのうら)洒落本  寛政3年(1791)山東京伝画作。江戸通油町蔦屋重三郎刊。
 教訓読本と銘打ったため、「仕懸文庫」「娼妓絹篩」とともに、絶版、作者手鎖50日の処分となった作品。錦にたとえられる夜の世界の裏、すなわち吉原の昼の世界を描く。朝早く夕べからの客を送り出した遊女屋を舞台に、時間を追いながら様々な模様を写す。その手法は、寛政5.6年に喜多川歌麿が描いた「青楼十二時」にも見られる。午前8時に魚を仕入れ、10時頃、女たちは起きだし、身繕いとおしゃべり、12時にははやくも客が、後半は女郎の誠を強調、ハッピーエンドで大円団を迎える。
 当局に配慮の見られる特に後半部と跋である。寛政元年の処分以降、京伝は戯作に慎重になっていたが、蔦屋の懇願に負けたのだろうか、十分に準備した教訓読本3部作だったのだが。
仕懸文庫(しかけぶんこ)洒落本  寛政3年(1791)山東京伝画作。江戸通油町蔦屋重三郎刊。
 小林の朝ひな、そがの十郎が深川に遊ぶ様子を描く。二人は取り巻きを連れ、隅田川を船に乗って、深川仲町へ。十郎は相方おとらに「なんだかあじにじれったいね」と言われ、「えてしてこんな事から、やみつくものだ」と言っている。売れっ子おてうは色男五郎が来たのを知り、そわそわして客を怒らせてしまう。おてうは朋輩おひらに、自分の櫛を質入れして金を借りて、たばこ盆に隠してよこしてくれと頼み、五郎の財布にお金を入れてやる。おてうのかんざしの数は減り、仕懸文庫(衣装箱)は軽くなり、なにやら事情のある五郎と逃げる相談をする。
 ふぐを食うたわけあり、食わぬたわけあり、ふぐを食いたし命は惜ししの心境を悟るため、遊女買いの美味と毒を戒めるために著したと、時事に配慮した断りがある。袋に教訓読本と銘打ったが、京伝は手鎖50日、絶版処分を受け、以降、洒落本の筆を断った作品。
古契三娼(こけいさんしょう)洒落本  天明7年(1787)山東京伝(北尾政演)画作。江戸通油町鶴屋喜右衛門刊。
 吉原、品川、深川それぞれの遊女の様子を細かく写実し、描き分ける。深川女郎だったお仲は髪結い、品川女郎だったお品は夫婦で薬湯の看板を掛ける。二人が隣り合った向かいには吉原出身のおよしが贅沢な囲われの生活をしている。三人がそれぞれの廓の様子、客のことなど、油屋が売りにくる夕方まで、昔話にふける。
 三人の言葉遣いの違い、様子など、うがちが冴える。山東けいこうの名が閲に見えるが、京伝の最初の門人だったと言われている。
繁千話(しげしげちわ)洒落本  寛政2年(1790)山東京伝画作。多田屋利兵衛刊。
 洒落本は、を描くにあらず半可通を描くにあり、馬骨なる半可通を描く。
 そら琴を待つ馬骨は友達犬悦と通人を競い合う。そら琴が来ても、自分のつきあいが多いことをでたらめに自慢する。馬骨は、魚街なる人物をでっち上げたそら琴に、魚街と知り合いであるといいだす。そら琴は、魚街は私のなじみだから、廓の習慣によってお相手できないと出ていく。今更、実は知らない人だとも言い出せない馬骨は、からすに鳴かれる。
 寛政に入り、風俗取り締まり、出版に対する処分などは、京伝を今までの細密なこじつけ、洒落、うがちにとどまらせず、人物の心理描写にも、自作の可能性を開かせたともいえる。

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